とどきますか。とどきません。

おそろしいほどDDです

元担当と元推しと去った人たちのはなし

大学の友だちと卒業旅行でセブ島に3泊4日して帰って来たら、元担当Bがyoutubeに動画あげていた。

 

 

ジャニーズにどっぷりだったころ、とくにJr.の子が担当だったころは、「雑誌に載らなくなる」「ジャニーズウェブから名前が消える」「退所」っていうのがすごい身近にあるもので、ある程度しょうがないって思えるものだったけど、若手俳優界隈で推しが引退したりD2のメンバーが減っていったり、そういうことを経験したり見てきて、でもまだこの気持ちを自分でも具現化も言語化もできないなって思ってたら、突然元担当Bが画面越しに再び現れてきてさらによくわかならくなったので、もうそのまま書きます。読みにくさ半端ないと思います。

 

 

わたしのオタク人生は嵐からはじまって嵐以外に、関西ジャニーズJr.っていう括りになる人たちが大好きで、雪国から関西までそれはもう頑張ってた。ベテランにOSSANに、B.A.D.とBOYS、7WESTとKin Kan、回顧しすぎるのも良くないけどほんとうに黄金期だった。わたしは元担当Aと先述した元担当Bを推してた、俗にいう担当だった。元担当AとBと元推しはだいだい同じタイミングで推しはじめてるので元推しとテニミュK-POPアイドルと並行活動してた。おそろしいほどDDです。

元担当AはBよりはやく退所したから、Aが退所してからはBのみにシフトチェンジしてた。元担当Aの退所は残念だったけど、言葉を選ばなければ"これまで見てきたよくある事"のひとつだったし、Aは継続的なグループにいたわけでもなかったから、ほんとうに「ありがとう!おつかれ!げんきで!」っていうかんじだった。Bがまだいたっていうのもある。カウントダウンコンサートで「ジャニーズWEST4」が発表されて、「いや神ちゃん流星は!?あと濱ちゃんは!?」ってなるとの同時に「担当Bのデビューあと4年はないな」=「やめる可能性が高いな」っていうのをぴりぴり感じてた。のちに舞台『なにわ侍 ハロー東京』初日で「ジャニーズWEST」として7人でデビューって発表されて、初日に行けなかったからあの場にはいなかったけど、ほんとうによかったなと思った。

Bはレギュラー番組もあったけど、省略するけど、これは完全にだれもがBがいつ退所を選択してもおかしくないな、っていう状況になった。だんだん雑誌の露出が減って行ったりして、覚悟しておこうと思った。(Bが辞めたらジャニーズも一緒にフェードアウトだなとも思った。実際そうなった)

けどもうこのときは完全にAのときとは違う心境で、手なんかふれないと思った。理由は上鶴徹くんのナベプロ退社そして芸能界引退だった。

 

担当ではなくてもやめてく人たちをそこそこ見ていたし"ジャニーズはそういうところ"だし、なにも言わずにウェブ上から名前が消えて表舞台から去っていく人たちに、迷いなく手を振って、去っていった人たちを(言葉を選ばなければ)もとからいなかったように、その子の名前も出さず活動を続けるほかのジュニアたちになにも思うことはなかった。

でも、上鶴徹くんが退所したとき、ブログを更新して本人の言葉で引退が語られて、ほかのD2のメンバーもブログに徹くんのことを書いてるのをみたとき(余談だけどこのときの阿久津のブログが本当に良かった)カルチャーショックというか本人の言葉で語られる重さ、仲間から語られる重さに比例して「退所」「やめる」っていう言葉の痛みが半端じゃないことに気づいた。

 

そんなこと思ってたら元担当Bは退所した。約2年後に元推しも引退した。

その約半年後に元担当Bが画面越しにあらわれた。でも彼は芸能人じゃない。アイドルしてる元担当Bだったから応援してたわけでもないけど、どういうモチベーションで彼を見たらいいんだろう。難しいな。元推しが引退して、現推しができて(?)るけど、元推しが画面越しにあらわれたらわたしはなにを思うんだろう。いやたぶんそんなことしないと思うけど。